蚊が飛び交う季節になりました。
長女はもう上手に蚊を叩くことができます。
しかし、次女は、蚊を叩いたことがありません。
足に止まる蚊を見つめる。
今朝、保育園に送るために娘2人を車に乗せました。
しばらく走ると、後ろから「虫! 虫!」と次女の声出します。
私は「車の中に虫がいるんだなぁ」思いながら、運転し続けました。
以前もアリが車内に入り込んでいた事があり、座席に登っている様子を後ろの2人が「虫いる!」と騒いでいたことがありました。
今回もアリだろうと思い、運転中のため後部座席を振り向かず、すぐ近くの保育園まで走り続けました。
駐車場に止まってから後ろを振り向くと、次女が「虫〜!」と言いながら膝を指差します。
見ると蚊が止まっていました。
次女は蚊に刺される足をただ見ながら、驚いている様子。
私は慌てて蚊を退治しました。
蚊を退治できるようになるのは、教育?
「蚊がいたら、パチンて手で叩いて退治するんだよ」
次女にそう言いながら思いました。
そういえば長女も、3歳位の時、蚊に刺されながらオロオロしていたな、と。
長女の場合、「きゃー! 虫!」と腕についた蚊を指差しながら見せてきました。
見せて泣きそうになりながらも、どうしていか分からない。
そんな様子でした。
蚊に刺されたら叩けばいい。
大人にとって何の違和感もなくできることが、できない。
3歳になると、蚊に刺されるとどうなるかを知っています。
腫れて、痒くなって、凄く嫌な思いをするのです。
でもそれでも、手に止まっている蚊を咄嗟には攻撃できないのです。
自分が攻撃されているのに、やり返せない。
周りの子供や大人が、蚊を叩く姿を見て、学んで、それから蚊を叩くことができるようにになるんんだ、と
何だか目から鱗のような気持ちでした。
人は勝手に、蚊くらい殺めるようになると思っていたのからです。
積極的には生き物を殺めるようには、出来ていない。
そういえば、肉食獣の子供も、本能的に肉を食べなければならないのに、他の生き物を自分の意志で殺すと言う事は、教えてもらえなければできません。
人間もそうなんだ。
この世界で、一番凶暴な生物は“人間”だとどこかで聞いたことがあります。
けれど、人間も環境や教育がなければ、他の生物の命を奪う、ということは自ら積極的には行わない、かもしれない。
知恵のついてきた、3歳ごろの長女、次女を通して、生物としての人間の本能について少し考える機会になりました。
知能が上がると選択肢が増える。
ただ、このまま蚊を叩くことを教えなければ、子どもは蚊に血を吸われっぱなしになるのか?と思いましたが
多分、そうはならないでしょう。
きっと、そのうちに、自分の意志で蚊を叩くようになるんだと思います。
知能が低いと、どうしていいか分からず泣くしかない。赤ちゃんのように。
知能が上がってくると、他の経験を参考にしたり、他の人の様子を観察したり、自分で考えたりしてどうするのか判断するようになるのでしょう。
きっと、
①蚊から逃げる。
②蚊を追い払う。
③蚊を叩く。
こういう選択をするようになるのでしょう。
大抵の人は③の行動を取るでしょうが、穏やかな環境で育ったら、①を選ぶ人になるのかしら。
知能が高くなると、思考が深くなり選択肢が広がります。
その数ある選択肢の中から、自分がしたい行動を選ぶだけです。
生きることに関係のない殺生も、選択肢が広がることにより、起こるのでしょう。
それは本人にとっては、正当性であったり、興味であったり、無関心から来るものであったりし、
生物学的に見れば時に「凶暴性」として映る行為なのでしょう。
今、6歳になった長女は選択肢が広がり、蚊はもちろん、蚊以外のコバエも蚊だと勘違いして退治しています。
そして3歳の次女は、蚊を退治することを学習中です。
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